日本人は「ディスカッション」が苦手な国民とよく言われる。
外交が下手と言われる所以の1つだ。
ディスカッション、つまり討論、議論を重ねることだが、日本人は感情を抜きにして1つの目的について様々な意見を出し合うことに慣れていない。なぜなのか?
一つには、教育があげられる。手を挙げて発言するとき、当てられたら正解を答える必要があると小学生の時から植え込まれる。間違うと恥ずかしいと感じる。同じことが残念ながら家庭でも行われる。間違うと親から「なぜ間違えたの」と不毛なことを言われる。
確かに、算数や数学のように正解があるものも当然あるが、大抵の場合そこまで責められるような必要もない。「なぜ、どうして間違えた」と聞かれるよりも、「どうしてそう思ったの?」とその結論に至った経緯を聞いて欲しいものだ。そうすれば、もしかしたら自分にとっても目から鱗となるような考えを子供から聞き出すことができるかもしれない。
自分と違う意見だった時の捉え方に、「否定された」と捉えることが問題になることがある。全てをそう捉えるなら自分と違う意見の人のことを理解するのは無理だし、そうしたいと思えないかもしれない。でも、そもそも自分と全く同じ考えの人なんてそんなにいない。家族でさえ同じもの見ていてもそれぞれ考えていることが違う。そうなると意見だって違うはずだ。
自分とは違う考え、意見を聞いた時、それを踏まえて次の新しい案を考え出したり、たくさんの他の人の意見を聞いて皆んなの意見の折衷案を出せるようになることはこれから社会で大事になるかもしれない。誰のどんな意見を聞いてもそれに批判的にならず、誰のことも悪者にしないディスカッションができたら、そこはもうパラダイスだ。


























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